太陽

地下鉄を逆方向に乗ってサァの迎えに遅れるという失敗にオタオタしていたころ、
日本では大変なことが起こっていた、3月11日。
身内と連絡が取れるまで、夕食作りもままならず、子どもほったらかしだった。
週末も大人はTVにくぎ付け。重い気分で過ごし、疲れと連動して体調もヘンになった。


でも何も体験していないのに、サァの遊びに「つなみ」が入ってきたり、建設中の
ビルを見て「いつかこわれる」なんてセリフが出てきたりしてハッとした。


これではいけない。
この震災について、子どもたちに教え、伝えていく大事なことは山ほどある。
でもそれは映像刺激によってではないのだ。


週明けから、平日にサァが帰ってきてからはTVをなるべく消した。
それでもPC画面に渋い顔をしている私から、きっと何かを感じていたはず。
それで充分。


この2週間ほど、日本のことを考えるときにはいつも「何もできないなぁ」という
思いがあった。できるのは寄付と祈りだけ。あとは目の前の育児に向き合うしかない。
そう自分に言い聞かせつつも、何となくモヤモヤとしたまま、毎日を送っていた。


数日前、約1ヶ月の仮住まいを終えて、ようやく新居に入った。
航空便の荷物を整理し、来週には船便も受け取れることになった。
あと一息で、新しい生活のリズムを整えていくことができる。


昔、母が「お母さんは太陽なのよ」と言っていたことを思い出す。
思春期の反抗的なころは、ずっとお日さまが出てたら眠れないじゃん!とか、
人間、明るいところも暗いところもあるんだからとか思っていた。


でも。
小さい子どもたちにとっては、家が、家族が世界のすべて。
太陽があってこそ、影の世界を楽しめる。
やっぱり私は、太陽の役を努めなくては(ふぅ、大役だ・・・)。


そんなことをやっと書く気になった。
被災したかたたちに「直接」「今」私ができることはとても少ないけれど。


日本のことを考えています。
私はなんとかやってます。


震災で多くを失った人たちが、こころ静かな時間を少しでも持てますように。