近況報告その2〜バレエの発表会〜


すっかり近況でもなくなってしまった話。
5月にバレエの発表会に出た。
これ、実は自分のなかではものすごいこと。だって11年ぶりだったから。


そもそもバレエと私とのつながりは長く(笑)、語り出すと少々長くなる。
幼稚園の卒園アルバムに書かれた将来の夢は「バレリーナ」。
教育TVでときどきやっていた劇場中継がすてきで、よく廊下でフワフワ踊っていた。


習いたいという私に親は「小学校に入ったらね」と言ったが、数年経っても
いっこうに気配がない。3年生のときに、あの約束どうなったのと聞くと
「あら、覚えてたんだ」と返ってきて、ようやくあるスタジオに通うことになった。


数ヶ月後の発表会は「まだ早い」と親のOKが出ず、不参加。
そのとき客席から見たのが、思えば初めての生バレエだったのだろう。
カラフルな衣装やライト、惹きつけられた美しい踊りを今でも覚えている。


小学校の間は週2回、中学からは週3回レッスンに通い、発表会も毎回参加した。
中学生の頃は練習が少し厳しくなり、もともと根性のない私は定期試験前になると
よく休んだし、サボったこともあったと思う。
それでも友だちとの時間が楽しくもあり、今思うとまあ、そこそこやっていた。


しかし中学を卒業すると、友人がごっそりとやめてしまった。
みんな新しい部活や、学校生活を優先するようになったのだろう。
私は大人に混じってレッスンに出たが、発表会では同レベルの仲間がいなくて、
上手な先輩と一緒の作品に(たぶん仕方なく・笑)混ぜてもらった。


おそらく1番一所懸命踊っていたのは大学生の頃。
授業のない日は午前中のレッスン(プロやセミプロの生徒さん&先生がいる)に出たり
夕方のレッスン後に遅くまで練習したりしていたと思う。
のちのちまで連絡を取り合う友人ができたのもこの頃だった。


けれど習いはじめてからは不思議と「バレリーナになりたい」とは思わなくなっていた。
中学高校は演劇部だったので、ミュージカルやお芝居には興味があったけれど、
上手な先輩やプロを目指す同世代たちの踊りを見るうちに、たぶん自然と、
自分はそこまでのレベルには達しないと納得していたのだろう。


社会人になって、時間的にも金銭的にもレッスンに通うのが難しくなり、
スタジオから足が遠のくようになった。ひとり暮らしをしていた頃は、
運動不足を感じて近所のスポーツクラブに入会したが、ジムのトレーニングや
プールがあまり好きではないと気づくのにさほど時間はかからなかった。


数年のブランクを経て、またレッスンに通い出したのが20代も後半。
だいぶレベルは落ち、発表会でもほんの少ししか踊れなかったけれど、
それでも自分はバレエが好きなんだなぁと実感した時期と言えるかもしれない。


結婚して1年経とうという頃、同じく大好きだったスキーで膝をケガし、
その後子どもが生まれ、ロンドンに引っ越し、またずブランクが空いた。
けれども「自分が無理なくできる運動」という自覚ができたおかげで、
ほんの週1程度でもいいからレッスンを再開しようという気持ちになった。


昔ブログに書いたが、ロンドンでのすてきな先生との出会いも大きかった。
続けたければ、50歳でも60歳でも踊っていてもいいかもと、心が軽くなった。


そして上海。
しばらくは相変わらず、子どもを預けて週1回のレッスン通いが精一杯。
タァが幼稚園に通い出すようになってようやく、練習量を増やせる見通しができた。
それが去年の暮れのこと。


発表会は無縁と思っていた私に、大人になってバレエをはじめた仲間が言った。
「昔からやっていた人は、どうしても1番踊れた時の自分と比べちゃうのよねぇ。
いいのよ、今の、オバサンの自分にできる踊りをすれば〜(^^)ノ」


ああ、そう。本当にね。
もういい年なんだから、この年なりに楽しまなきゃ!


思い切って申込書を出し、年明けに演目が発表され。
「『白鳥の湖』第1幕のパ・ド・トロア」と決まってかなり動揺したが、
動画を探したり、リハーサルの様子を携帯で撮ったりという、
11年前には気軽にできなかったワザを使い、自分なりに勉強した。


しかし実際の練習は、想像以上にハードだった。
何しろ自分の思うように、身体がまるで動かない!!(^^;;;


はじめて自分1人のパートを通して踊った日は、音楽に置いてきぼりにされた。
家に帰るとふくらはぎがパンパンで、子どものオムツ替えにも支障をきたす。
ごめんねと謝りながら夕方30分もお風呂に入り、それからやっと夕食を作った
日も何度もあったし、月に2回はマッサージ通い。
練習量はさほど多くないのに、フラフラだった。


さらに本番まであと3週間というとき、古傷のある左足首がガチガチになり、
くるぶし上あたりに「ピキッ」という痛みを感じたかと思うと、
以後、まるでジャンプができなくなってしまった。


まずい。これでは発表会で踊れない。


苦肉の策は、まず勇気を持って1週間の休養。
あとはソロリソロリと最低限からスタートし、照準を本番に合わせて練習。
ターンは冒険せず、動けないときのための簡単な振付を先生と相談。
通常のレッスンでも、跳躍はバーを使って。


20歳のときはできなかった、中年のカラダ向けの対策&予防策(笑)。
しかしこれが功を奏して、ゲネプロと本番をなんとか迎えることができた。


日本からは姪がベビーシッター役を兼ねて遊びに来てくれ、
2日間、私はどっぷりバレエ漬け。
小さい子のメイク姿も、舞台袖の薄暗さも、緊張感も高揚感も、
懐かしさと再び体験できる喜びとで、一つ一つ楽しくて仕方がなかった。


ケガを抱えた41歳の踊りは、DVDや写真を見れば不満もあるけれど、
その時間を心から楽しめたんだから大満足と言っていい。


そしてこれはゲネプロでのこと。
舞台の横で見ていた1人の女の子が、私が袖に入った瞬間、こう言ったのだ。


「わぁ、すてき・・・。」


これから踊りの楽しさを知っていく小さな子に、そう感じてもらえたことが
本当に嬉しかった。今の私にもまだ、ちょっとはそんな力があったなんて。


日常の練習不足を反省して、今はだいたい週3回、レッスンに通っている。
落ちた筋力、すっかり反れなくなった背中、課題はいろいろあるけれど、
自分の身体に集中している時間が心地いい。


もう少し、続けていこうと思う。