近況報告その1〜母のこと〜

2つ前に重い話題で母の話を書いて、そのまま放置してごめんなさい。
実は3月からしばらくとても忙しくなり(その2で報告予定)、
ブログアップがこれまでに増してできず・・・。


6月はじめに身内の結婚式に参列するため、3泊4日の一時帰国をし、
その際に母の見舞いも行けたので、まずはその話を。



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倒れて搬送された救急病院に、母はその後もしばらく入院していた。
私が上海に戻ってから少し経って、目が開いたと連絡をもらった。
この先も目覚めないかと思っていた状態からの、大きな前進だった。


代わる代わる、時間があれば見舞う姉たちから、毎日のように報告が入る。
おだやかな顔だったとか、微熱が続いているとか、むくみが取れてきた、など。
けれども、徐々にみんな理解しはじめる。
昔のように自力で食事をしたり、話したりするのは不可能に近いということを。
退院して自宅療養することすら困難だということを。


1ヶ月を過ぎたあたりから、転院先を検討するようにという話が出始めた。
私を含め、身内は動揺した。


・・・この状態で病院を移る?


緊急手術は成功。でも母は、どう見ても回復したとは言えない。
それでも日本の医療のあり方では、救急病院に長期入院し続けることはできない。
この現実にあらがうことはできず、いくつか検討ののち、母は5月に転院をした。


一時帰国した私が訪ねたのは、おそらく母の終の住まいとなる病院だった。
清潔感があり、スタッフの雰囲気もよい、落ち着いたところだった。
本来は病を治すはずの場でありながら、入院者の多くがここで最期を迎えるとは
少し皮肉だ。しかし今の高齢化社会、こういう施設の存在意義は大きい。


まぁそれはそれとして、見舞った母は、私の予想をはるかに超えていた。
はるかに、いい意味で。


なんせ最後に見た姿はまったく動かない母だったのだ。
3ヶ月経って、声をかければ目を開き、声のするほうを向こうとし、
そして時折、笑みを浮かべるのを見て、驚かないといったらウソというものだ。


そして1番驚いたのは、私が5月に参加したバレエ発表会のゲネプロの
動画を見せたら、はっきりと嬉しそうにニッコリしたことだった。


「あ、うそ、わかる?」


えへへと照れながら、母に見せたかった動画に反応してくれたことに、
心の底から嬉しくなった。たとえ話しができなくてもね。


飛行機の中で見た『すーちゃん、まいちゃん、さわ子さん』のなかで、
寝たきりになった祖母のことを話す、さわこさんの母のことばが胸に残る。
正確ではないけれど、それはこんな内容。


「・・・こんなふうになっても、1日でも長く、生きてほしいと思うのよねぇ。」


1度だけ短い時間、子どもたちも見舞いに行った。
母が実家にいないことを不思議に思っていたタァも、彼なりに納得したらしく、
「ばぁまちゃんは、びょういんでねんねしてるのよー」
と、それ以後言うようになった。


母にとって、今の姿はまるで望んでいなかったものかもしれない。
それでも今、彼女の周りにいる人たちは、あとどれぐらい残されているか
見当もつかない時間を、大切に共有しようとしている。


これを読んで少なからずショックを受ける人もあると思うけれど、
私は大丈夫だし、身内もみんな自分たちの置かれた立場のなかで
母との時間を紡ぎ出しながら、毎日しっかり生活しているのでご安心を。


母が苦しいことが少ないように、ちょっとだけ祈っていてください。